ネット連載小説 「輝ける時」 第2章
< 7月18日>
第二章 「笑顔のOL」
笑顔のOL
翌日涼子は北浜商事の社長室の前に立っていた。
「失礼します。本間涼子です...」
ドアを開けると、本屋で見慣れた北浜社長が笑顔で座っていた。どちらかと言えば小柄な方だろう。およそ社長と言うと
太ったイメージがあるが、北浜社長は痩せていた。 髪も黒いがこれは染めている事を涼子は既に見抜いていた。
「待ってたよ、本間さん。 まあ、そこの椅子に座ってくれ」
「ハイ」
涼子は物珍しそうに部屋を見渡した。大きな机の前に立派なソファーが置かれている。 涼子の部屋の何倍広いだろうか?
しかし、彼女が想像していたような「虎の置物」や「備前焼の壺」や「ゴッホの絵」みたいな、およそ執務室には
悪趣味と思えるモノはどこにも見あたらなかった。 涼子は気持ちよさそうなソファーにゆっくりと腰を下ろした。
「ブゥー!!」
「きゃあっ!!」
「はっはっはっはっは!! 引っかかった引っかかった!!」
「もう...北浜社長ったら......」
「やっぱり今時ブーブークッションはウケないかね??」
「骨董品屋に持っていったら高く売れますよ!!」
「...やっぱりそうか......」
「でも、懐かしいですよね、これ。」
「......懐かしい...か...」
「ケチャップが飛び出したら、もっと驚いたんですけどね」
「はっはっは...本間さん生理中か??」
「...昨日お赤飯を炊いたところです」
「こりゃあ、一本取られたかな」
涼子は北浜社長を見た。社長は安心したような表情と同時に自嘲気味に笑っていた。 そして涼子の前にゆっくりと
座ると、煙草に火を付けた。
「ありがとう。僕だって分かっているんだよ。若い人たちはこういうのを「オヤジギャグ」って言ってバカにしているのを。
でも、わしらがどんなに頑張ったって、ダメなんじゃ」
「そんな事無いですよ、社長」
「いや、いいんだよ、気を使わなくても。 でもね、わしだって社長だからって威張ってばかりいる訳じゃないんじゃ。
社員はみんな可愛いんじゃよ。だから笑って欲しいじゃないか!! でも、ダメなんじゃよ、趣味が悪くて...」
「そんな事ないですってば」
「いや、本間さんは、わしがスーパーでカミさんに頼まれた買い物帰りにエロ本を買うことを知っているから
そうして突っ込んでくれるんじゃよ。 そうと知らない若い社員なんか、顔が引きつって......
いや、すまん。それは本間さんだからこそじゃろうな」
「......」
「本間さん、今回は無理を言ったようですまなかったねぇ」
「いえ、私こそ、こんな機会を与えていただいてとても嬉しいです」
「......実は明日から受け付け担当が暫く休みでな。いいよなぁ若いもんは...海外旅行じゃそうだ」
「......」
「普通なら他の社員を使うところだが、わしはどうしても本間さんにやって欲しかったんじゃ」
「光栄ですが...私みたいな学生でホントにいいんですか」
「いや、君みたいな、明るくて働き者で、しかも美人は滅多におらん。それに理解もあるし...」
「理解...て?」
「...それは...何というか...言ってみればエロ本に対する理解じゃな」
「それだけはあるかも知れませんね」
「そうだろう!!」
北浜社長は満足そうに深く煙草をくゆらした。
「では、悪いが宜しく頼んだよ。 詳しくは総務の者を呼ぶからそいつから聞いてくれ」
「ハイ、頑張ります」
あまり乗り気でなかった涼子の心に「楽しみ」の文字が刻まれていた。
<7月27日>
サロン「受付」
その後涼子は総務の担当、山田さんに一通り仕事の説明を受けた。
説明が終わると山田さんは声を小さくして言った。
「しかし君も大変だったねぇ。社長の指名だろう!! うちの社長は時々気に入った娘を
見つけると、研修も何も関係なしに受付や社長秘書にしてしまうんだよ。
本人曰く「これが俺の唯一の道楽だ」って言ってるけどね...
まあ、頑張ってくれ。じゃあ、これから職場に案内しようか」
「...はい」
山田さんに連れられて涼子は受付に向かった。
「お〜い、下田さん、こちらが君が休みの間代役をしてくれる本間さんだ。
本間さん、こちらが下田さん。 あとは下田さんから教えて貰ってくれ。」
「はい」
「こんにちは。下田です」
「初めまして。本間と申します。」
「あなた、アルバイトだって。社長の物好きには困ったものよねぇ...... まあ、覚えることは多いけど、
あの社長が連れてきた人だからきっと大丈夫だわ。」
「はい、頑張ります」
涼子は下田さんから、朝の掃除に始まり、灰皿の始末、電話の取り次ぎなど、一通りの事を教えて貰った。
「仕事はまあ、こんなものね......ところで、ここの受付、ちょっと変わってることがあるの...」
「変わってるって?」
「ほら、今もあそこに一人居るでしょ。用もないのにロビー代わりに使うおじいちゃんが多いのよ。
でも、あの人達、引退した取引先の社長やここの大株主だから、そっとしておいてね。」
「どうしてそんな人がここに居るんですか」
「このビルって、街中の良いところにあるでしょ。しかも、エアコンも利いてるしソファーもいいし...
行くところがないとここに来るらしいのよ。昔は仕事しか無かった人たちだから他にやることも
無いのかもね」
「......」
「まぁ、あまり気にしなくていいわ」
「......」
「......あっ、もう5時ね!!じゃあ、私は今晩の飛行機に乗らないといけないから、明日から宜しく
頼んだわよ」
「はい。じゃあ、いってらっしゃい!!」
「お土産買ってきましょうか!!」
「......じゃあ、金髪モノのエロ本!!」
「ふふっ!! さては社長にそう言えって言われたのね!!」
「いえ、わたしが......」
「いいのよ! スケベ社長って内輪じゃ有名なんだから!! じゃあ、よろしくね!!」
「は...はい...行ってらっしゃい!!」
確かに社長にはそれが一番だと思う反面、ちょっとだけ良心の呵責を覚える涼子だった。
<8月 3日>
スポーツ新聞
翌朝、涼子は朝から受付の掃除をしていた。まだ勤務時間ではないのだが、始まってからでは遅すぎる。
しかし、まだ勤務時間は始まっていないのに、入り口のドアを叩く音がする。
「はい。」
涼子が入り口へ走っていって見ると、そこには一人の老人が立っていた。
「あのう...まだ...」
「いいからいいから、開けなさい...おっ、君は新顔のようだね」
「はい。今日から受付をやらせて貰っています」
「うむ。結構。」
「あのう...ご用件は...」
「ない!!」
そう言うとズカズカとその老人は入ってきて、掃除したばかりのソファーに腰を下ろした。
「これが、昨日下田さんが言っていた「引退した取引先の社長やここの大株主」なのかしら??」
涼子がそんなことを考えていると老人は辺りを見回してこう言った。
「うむ、よく掃除できとる。合格じゃ。」
「あっ、ありがとうございます...」
「ところで、新聞を持ってきてはくれんか」
なんでチェックを受けなきゃいけないのか? ついでに新聞まで...と、ちょっと釈然としないモノはあったが、
まあ、褒められたわけだし、涼子は機嫌良く老人に新聞を渡した。
「わしゃ、これが日課なのじゃよ」
そう言うと老人は経済紙に目をやった。
「......フムフム...ここの株も一向に上がらんのう......」
「あのう...ここの株を持っておられるのですか?」
「いや、とうの昔に息子にくれてやったわい。 しかし、見るのが日課なのじゃ」
「他にご趣味は...? 例えばゲートボールとか、カラオケとか......」
「そんな事はわしはしたこともないんじゃ。 最近は株式欄をただ見るだけが趣味じゃ」
「そうですか......あっ、ちょっと待って下さい」
そう言うと涼子は会社の前にあるコンビニからスポーツ新聞を買ってきた。
「これ、どうぞ」
「なんじゃ、スポーツ新聞じゃないか。こんな下品な新聞はわしゃ、読まんのじゃ」
「まあ、そう言わないでちょっと読んで下さいよ。プロ野球とか、競馬とか、結構面白いですよ」
「......まあ、せっかく買ってきてくれたんじゃから......」
そう言うと老人はスポーツ紙を広げた。もうすぐ勤務時間が始まろうとしている。
涼子が残った仕事をしていると、ソファーの老人が不意に叫んだ。
「おおっ!! わしの母校が全国大会に出ているじゃないか!!」
「全国大会ですか」
「そうじゃ。卓球の全国大会じゃ。わしも昔は卓球部でのう...おっ、こうしてはおられん。
今日も試合が有るじゃないか。しかも市内でじゃ! 君、いいことを教えてくれた、
じゃあ、わしは今から応援に行ってくるとするよ。新聞代はここに置いとくぞ!!」
と言うが早いか、老人は外に出ていった。
「あっ、別にお代は頂戴してないのですが......」
涼子は机に置かれた1万円札を手に困惑していた。
<8月24日>
憩いの広場
もうすぐ始業時間である。
涼子が掃除を済ませてイスに座っていると受付の前に黒い車が止まった。
北浜社長の出社である。
涼子は車を降り、入ってきた社長に明るく挨拶をした。
「おはようございます」
「おう、本間さん、ご苦労ご苦労...」
そう言うと、北浜社長は受付を見回して、ちょっと納得がいかない顔をした。
「あのう...掃除が満足に出来ていませんか??」
「いや、そうじゃない...」
北浜社長はゆっくりと受付を見回して更に続けた。
「掃除は完璧じゃ...ところで本間さん。今朝高木さんは来なかったか?」
「高木さん...ですか?」
「そう、もう70歳になる老人じゃが、毎朝ここに居るのだが...」
「あっ、あのおじいさんですね!!それなら...」
涼子は北浜社長に朝の一件を話した。
「はっはっはっはっは!!それは良い話だ!! 高木の爺さんにもその方がいい!!」
「あのう...このお金、どうしましょう...」
「それは君が貰っておきなさい!! いや、結構結構。」
北浜社長は上機嫌で、今朝涼子が買ったスポーツ新聞を手に持ったまま社長室へと向かって行った。
しかし、この会社にくつろぎにやってくる老人は高木さんだけでは無かったのである。
午前10時を回る頃、受付に3人の老人が現れてどっかとソファーに腰を下ろした。
「いらっしゃいませ。ご用の方は...」
「あぁ、君は新入りかい? わしらの事は気にしなくて良いんじゃ。
なぁに、2時間くらいしたらメシを喰いに行くから」
「はい...」
3人の老人達は何やら談笑を始めた。 しかも、さっきの高木さんと同じく経済紙を見ながら
何やら話し込んでいた。 が、今度は涼子も持ち場を離れるわけにはいかなかった。
涼子は仕事のをしながらも、老人達の会話が気になって仕方がなかった。
「今はインターネットの時代じゃからのう」
「でも、あんなの面白くないじゃろ」
「あぁ、全くくだらん。大した情報も無いようじゃし」
「そんな事は無いと思いますよ...」
涼子は思わず老人達の会話に口を挟んでしまった。
「そうかい? わしゃ、会社の若いモンに見せて貰ったが、くだらんモノばかりじゃったぞ」
「わしもそうじゃ」
「...会社の人に見せて貰ったって、ご自分では操作なさらないんですか?」
「あんなモン、使い方がわからんじゃろ」
「そうそう。でも、色んな会社のを見せて貰ったぞ」
「...会社の...だけですか?」
「そうじゃ」
「...個人のとかは...」
「個人? 会社のより面白いわけがないじゃろう」
老人達と話している内に、またしても涼子の中に小さい野望が芽生えていた。