マイコンボード

 今は昔。そう二十数年前だから、我々の年代ではちょっと前。若い世代ではかなり昔。マイクロコンピュータ(略称マイコン)ボードキットなるものが登場した。少ないメモリ容量を積んでいた。

 もちろんディスプレーなどの高尚な物はついていない。ちっょと昔の電卓についていた7セグメントと呼ばれる8の字方の表示器が威張ってついていただけである。キーボードもない。ないないづくしである。

 これで何ができる?何ができるって、何ができる!威張っている訳ではない。恐らく今ではマイコンジャーのマイコンだって、これ以上だろう。

 しかし、この仕様に夢を見てキットを購入した者は少なくない。何ができる?何度も聞くなって。これでも立派にゲームが作れたのだ。例えばジャンケンゲーム等など。笑うなって!

 メモリが少なくっても、ディスプレーが7セグメントでも、キーボードがスイッチでもよかった。命令した通りに動くだけで感心したものだ。スイッチを操って、メモりにプログラムを書き込む。書き込んだプログラムがプログラムのデータとして動くように設計する。またプログラムを走っている最中に書き換える。そんなこんなでメモりを有効に使う。いや、使わねばならない。

カラーか64Kか

 メモりエリアは狭かった。いや狭くはなかったが、何分にも使うたびにプログラムというかデータというか、いずれにしろそれらを入力しなければならなかった。それでも楽しかった。いや楽しいと思わざるを得なかった。

 何だかんだと言いながらもつかっているうちに、PC−8001やらMZ−80やらAppleやらがアナウンスされてきた。そのころの首題はカラーディスプレー(8色)でメモり容量は32KB(PC−8001)かグリーンディスプレーで64KB(MZ−80)を使うかであった。

 PCにもMZにもBASICが搭載されていた。マイコン時代とは比べ物にならない高性能である。マイコン時代はマシン語(今流に言えばネイティブコード)で入力しなければならなかったが、BASIC言語が使えるようになった。もちろんキーボードがあり、スイッチとはおさらば。それになんと外部記憶装置が使えるようになった。

 外部記憶装置と行ってもハードディスクではない。そう、フロッピーディスクでもない。オーディオカセットテープだ。この外部記憶装置は信頼性に乏しかった。我が家における私と同じだ。信頼されているようないないような。なんとも微妙な信頼である。外部記憶装置にプログラムを記憶させるにはSAVEコマンドを使用するが、SAVE?コマンドと言うのがある。これは正しくSAVEされたか確認しながらSAVEするというコマンドだ。要するに確認せずに電源を切って、次回プログラムを読み込む(LOADコマンド)時にエラーが発生して読み込めなくなることがあるからだ。

 このエラー、たまに発生するものではない。しょっちゅうといってもよいくらいだ。そこでSAVE?コマンドの使用となる。何回かSAVE?するとOKが出て、めでたくSAVEが終了する。それでもマイコン時代とは比べ物にならない。この辺りは子供よりも私の方が信頼できると言うことに似ている(あぁ、情けな)。

 このころ我が家に初めてパソコンなるものが導入された。CPUはザイログ(インテルではない)Z80A(4MHz)だ。メモりは64KBフル実装(Z80のメモり空間は64KBであるが、裏ロムとして32KBのロム空間にBASICなどのシステムが書き込まれており、バンク切り替えで、ロム空間をラム空間として使っていた。ディスプレーは640X200ドット、8色のカラー表示が可能で、何と漢字が表示できた。ということはそれまで漢字は使えなかった?答えはYES。もちろんキャッシュなどは積んでいない。キャッシュ(現金)は使った。BASIC(現在のVisualBasicとは全くちがう)は遅かった。遅いがゆえにマシン語を使用することが多く、ハンドアセンブル(恐らく今では死語と化している)で直接メモりに命令の数値(これがネイティブコードの正体)を書き込んだ。

 この愛機、名前をパソピアという。買ったその日は徹夜した。若かった。徹夜でパソコン遊びをしても会社で仕事ができた。いまは・・・・・・。もう、言うまい、聞くまい、なんまいだ。